古くは寄席。一昔前は漫才。
最近ではお笑いも「LIVE」という言葉を使いますが、
要は芸人が人を笑わせる事を目的とした催しを行い、
それにより収益を得ることは、昔から行われていました。
これは芸ごと、つまり形としては残らない物を鑑賞して、
知的遊戯を楽しみ、後の生活の糧とすることです。
笑うという行為。楽しむという行為。
それを実現するには、自ら創意工夫が実は必要です。
簡潔に言えば、知的遊戯を楽しむためには、半分くらい提供され、
あとは聴き手(受け手)が、各々想像を膨らませ、クスっと笑う。
その笑いは人により違う。
だから面白いわけです。
このように、形の無い物に対価を払うことは、
本来、全くおかしな事では無いのです。
後は楽しめるか楽しめないかの違いです。
近年、余りにも提供する側が、「ここで笑いなさい」という
仕掛けを施し過ぎて、受け手の創意工夫の余地が無い環境が
整えられ過ぎている感は否定出来ません。
テレビのテロップやら、効果音が最たる例です。
知的遊戯を奪われること、これすなわち思考力を育む環境を
奪われていることです。
楽しいことであれば、人は持続出来ますけど、
このような環境でTVを見るという行為を続けても、
得られるものは、うわべだけの人付き合いと、
うわべだけのセールスレターの甘い誘惑に期待し過ぎてしまう
能力だけかも知れません。